長期低金利が大きな政策的失敗であったことは、政府といえども公然と認めざるを得なくなって久しい(たとえば大蔵省の財政研究所による「報告書」。あるいは98年、第143臨時国会における宮津蔵相の「陳謝」)。
しかし、その長期低金利政策が対米協調の産物であった点については、決して公然と語られることはなかったのである。
さて、ここで検討したいのは、このバブル経済が、いかに対米債券投資の継続に大きく「貢献」したかという問題である。
80年代半ば、とくに87年以降の金融政策のもとで発生した日本のバブルは、深刻な後遺症を日本経済に残すことになったが、アメリカにとっては逆に、大きなメリットをもたらした。
通常であればあり得なかった民間の米国国債購入が、バブルを背景にしてはじめて継続されたのである。
皮肉なことに、この低金利政策は、本来は、対米資本投資を継続させるための「内外金利差」を維持することが目的だった。
そして日本の機関投資家が膨大な為替差損を被りつつ米国債購入を続けた事実は、一見、こうした「国際政策協調」が功を奏したことを示すかにみえた。
しかし、購入継続をもたらしたのはじつは金利差そのものより、低金利政策がもたらした株価・地価の急騰、それによる膨大な含み益であった。
これが、機関投資家にとって為替差損への隠れた緩衝装置となっていたのである。
金融法人が87年からの三年間に株式などであげた評価益は205兆円、当時のドル換算で1兆5000億ドルにも達した。
このバブル益によって、金融村、なかでも機関投資家の隣組を不承不承でも米国債投資に向かわせるよう、大蔵省は風圧を強めることができたのである。
88年七月、国際業務に携わる銀行は、93年までにBIS規制(後述)という国際基準を達成せよ、という規定が設けられた。
銀行は資本の規模に応じて保有できる資産の中身を考えざるを得なくなったわけだが、幸い生保などへはこのBIS規制も直接は及ばない。
多少の為替差損はじゅうぶんバブル益で埋め合わされるはず、というスケールの大きな「どんぶり勘定」の発想だった。
結局は、生保がディスクロージャーとは無縁の「相互会社」という前近代的な業態であったことを、大蔵省が利用したといってよい。
一方、当然というべきか、アメリカ側は日本のバブル益がアメリカ自身にとって、いかに重要であるかをひそかに観察していた。
例えば、かつてアメリカ経済のソフト・ランディング可能説を論じていたジェフリー・サックスなどは、そうした観察者の一人である。
つまりく、当時、日本の金融機関が擁していたバブル益を7兆5000億ドルと見積もると、これはアメリカの財政赤字の約10年分にも相当する。
そこで、このバブル益を引当てに日本の機関投資家が米国債投資を続け、アメリカはその間に双子の赤字を削減することによって、経済を軟着陸させる。
ざっとこんなシナリオが描けることになる。
大幅なドル安によってポートフォリオ投資の対象とはいえなくなってしまった米国債にとって、日本に発生したバブル経済は、じつは最後のよりどころともいえるものであった。
また、80年代のジャパン・マネーの米国債購入継続に、どんな仕組みが働いていたのか、その点を解明しようとした理論は、内外を通じて決して多くはないが、そうしたなかで、ジャーディン・フレミング証券のエコノミストの研究は、そこにバブルの役割が大きかったことを実証しょうとした点で注目される。
彼は、日本の海外投資が80年代に急膨張へ90年代に入ると急減したのはなぜかという問題を実証的に解こうと試みた。
その結果、この間の対外投資の動きをもっともよく説明する要因として、不動産関連融資の伸びを統計分析によって摘出した。
これら融資は大部分が投機的性格のものであり、こうしてつくりだされた「過剰な」通貨供給が内外の資本投資に向かったという説明である。
筆者としては、バブル益のなかでは、土地の含み益よりも株式の含み益を重視する。
それは米国債投資にともなう為替差損へのバッファとして、とくに大蔵省が機関投資家に米国債投資を強制する材料として強く作動したくと、いっそう現場に即した解釈をとるものだが、少なくとも、このヴァイナクの結論は、先にあげたドラッカーの表面的観察よりは、事実に肉薄しているといえるだろう。
いずれにせよ、米国国債の利回りといった内外金利差や、為替レートの予想変化率など、標準的な教科書にある「要因候補」では、80年代後半から90年代に入るまでの日本の海外投資の動きがほとんど説明できなかった、という点は重要である。
それは、日本のドル債投資が、いかにポートフォリオ投資としての合理的な範囲を超えていたかを何より雄弁に語っている。
ウォール街を守れと、バブル経済の特異な状況を背景に行われた「政策協調」とは何だったのだろうか。
80年代後半の対米投資は、それなりに資産の最適運用をめざした80年代前半の投資とは著しく異なり、対米資金供給を是とする「国策」に、民間資金が協力したという性格が色濃く表れていた。
プラザ合意が生み出した対米資金流入への障壁は、経済のレベルでこれを乗り越えることはもはや不可能であって、それを取り繕うためにへさしあたり日米間の政治力学が利用されたくこれこそが金利調整をめぐる政策協調の本当の姿であろう。
一方、日本の政策当局は何を考えていたか。
プラザ合意後も、米国債投資に向けて、民間の資金を動員する当時、どこまで意識されたかは不明だが、これはかなり大胆で重要な意思決定だったといえるであろう。
なぜなら、日本側にとって、いったん深く足を踏入れた以上、米国の経常収支赤字が続く限り、日本がこれを埋め続けなければ、ドルの暴落を引起こす危険性がある。
ドルが暴落すれば、それまでに投資され、ドルに姿を変えたジャパン・マネーはさらに大幅に減価する。
そうならないようにと、ドル債投資を続けることが、唯一の方策となってしまった。
一蓮托生、ドルと運命をともにする。
これが日本側から見た「ドル買い」の基本的構造である。
国際政治面はともかく、経済面では独自の構想をもって国益を追求するといった発想の芽が、ここで完全に摘まれてしまった。
後に詳述するが、円建て債券に変更を求めることはもちろん、80年代前半の不自然なドル高を、早い段階で冷ましていたのであろう国際的な分散投資への努力もほとんど試みられた形跡がない。
こうした日本の政策当局の依って立つスタンスは、87年10月19日、ニューヨーク株式市場を襲った大暴落、いわゆるブラック・マンデーにおいて見事に明らかになる。
ダウ平均株価が一日に約500ドル、二割も暴落するブラック・マンデーの衝撃は、たちまち世界を走ったが、その過程で、「ウォール街基準」ともいうべき原則が日本の金融政策にすでに定着していたことが、はっきりと顕在化した事実を見逃すわけにはいかない。
ブラック・マンデーとは、そもそも何だったのか。
90年代アメリカの株高の進行を経てふり返ると、十余年前の出来事もすでに歴史的事実になってしまった感があるが、当時は、1929年10月の「暗黒の木曜日」さながら、これが世界恐慌の引き金になるのではないかという懸念さえ噴かれていた。
1929年のアメリカは、大幅な経常黒字を続けた大債権国であり、黒字を原資とする、本来的な意味での対外マネー供給国であった。
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